猪越金銭登録機株式会社時代の思い出

猪越金銭登録機特販課で私が新入社員の時期に本社の女子事務員
で一階右奥の壁際にもの静かで控えめな女性がおりました
昭和45年の事で本社がまだ神田にあった時代の事です
私が内勤の彼女に営業の手助けをお願いしましたら心良く
引き受けて下さり営業の現場に同行して頂きました  
私より幾つか年上でおとなしく優しい女性でした
私が大学を卒業し社会人になりたての時期でもあり特に印象に残り
親切にして頂いた彼女の事は 今でもよく覚えております
同僚の女子社員の話では確か彼女は母子家庭で下の兄弟の面倒を
みなければならず経済的にも大変なようですと話しておりました。
しっかり者で苦労人の女性だったようです
お名前がどうしても思い出せません

猪越金銭登録機(株)昭和45年特販課入社の同期
毛塚君(明治大学卒) 足立君(熊本大学卒) 三宅君(都留文科大学卒)
石田君(東洋大学卒) 中島君(国学院大学卒) 中山君(国学院大学卒)
小室君 (秋田経済大学卒) 転勤を嫌い後に出身地の秋田営業所に所属変更
それと私 近藤雅俊(東洋大学卒)の8人でした

当時の特販課の課長は札幌営業所の所長から抜擢された上領課長で立派な人でした
当時特販課の新入社員には研修中は2年先輩がチ−フに付く決まりになっており
当時私達に付いたチ−フは私と同じ名前の近藤さん 北海道出身の佐藤良弘さん
東洋大学の先輩である石川さん 千葉出身の山崎さん 熊本出身の上村さん
それと後に高崎営業所でまた御一緒した青山学院大学出身の秋山さんでした

私の特販課の研修では佐藤良広さんがチ−フでしたがある時 優柔不断で
結論の出ない店主がおりチ−フの佐藤さんと何度も売り込みに行ったがダメで
当時先輩の中で一番実績があり一番押しの強い近藤チ−フに応援を頼みました
この時のチ−フが現在 日特エンジニアリングの社長をしている近藤さんです
優柔不断の店主がレジスタ−を購入した後の経理処理の説明も聞きたい
と無理難題を言うので内勤の女性に帳簿上の説明をお願いした訳です
私と佐藤チ−フ 近藤チ−フ 内勤の女性それと同期の毛塚君の5人で
夕方から数時間かけて売り込みしたが残念ながら契約は出来ませんでした。
これが私の人生初の営業経験になりました。

営業所勤務は 横浜 千代田 横浜 大阪北 大阪南 高崎 小田原と転勤の
連続で入社3年後大阪で係長になり最後は小田原営業所の所長で退職しました。
大阪で係長になった時 同期の者は誰も残っておらず私一人になっておりました
私の特販課の同期入社の人達とは現在まで誰とも連絡がついておりません。

今でも思い出すのは特販課研修中に私が宿直当番の時つい自分で目覚ましを
止めたらしく電話で叩き起こされ寝ぼけて窓から顔を出して下を眺めると
朝出勤した人達が会社に入れずウロウロしたり座り込んでいる人までいる
お〜い 早くシャッタ−を開けてくれ!と叫んでいるので
慌てて降りて行きシャッタ−を上げながら謝る私を誰も責めず
ただ笑われただけで済みましたが本当に冷や汗ものでした。

宿直の時は夕方早めに食事する為 女子社員の前で食事をしながら
いつものようにノリの良い女子社員と冗談を言ってワイワイ騒いでいると
鈴木部長と岩田課長が私を見ながら苦虫を噛んだような顔で睨んでいる
遂に呼ばれて鈴木部長に耳打ちされた石井係長から君が宿直の時は
女子社員がのせられて一緒になって騒ぎ業務に支障が出て困る
今後改めなければこの事を君の直属の上司である上領課長にも
報告すると脅かされ厳重注意という事になりました。

大阪に転勤するまでの3年間は猪越の独身寮にいたのですが
なんと3年間で3回も寮の引っ越しをしました
田園調布では快適でしたし その次の雪谷の寮もまあまあでした
最後の六郷の寮では寮母のばあさんが酒ばかり飲んでいて飯を作らず
寮長の私がばあさんを叱りつけて食事を作らせたら食中毒をだした
ほぼ全員が激しい腹痛 下痢 嘔吐で病院に担ぎ込まれる始末でした
飲んだくれて帰り食事をしなかった不真面目な社員だけ助かりました

横浜営業所時代は思い出も多く鎌倉の町はずれに小さな手芸店があり
訪問すると見上げる程の大男が出てきて女房は出かけているが何かな?
と云うので恐る恐るレジスタ−の売り込みをすると興味がありそうなので
同乗していた森田所長に早速報告 元相撲取りであきの海とか言ってますが
所長知りませんか?と聞くと所長が驚いて 横綱の安芸の海か? エ〜!と
言いながら双葉山の70連勝を阻止したのが安芸の海だと教えられ
二人で店に行き帰宅した奥様にも説明し元横綱と無事契約出来ました

横浜営業所時代には森田所長に随分可愛がって頂きました
泣く子も黙る大阪では広沢所長に大変お世話になりました
当時は辛い猪越時代も今となっては良い思い出になっております

当時私が販売したレジスタ−は72型 K8型 8SU型 22型
M10型でした 23型はスライドではなくボタン式でしたが欠陥があり
数字のボタンが取れて何処かに飛んで行き打てなくなる事もしばしば
25型は故障が多いのと驚くほど音が大きくレジスタ−を打つとまるで
印刷工場にでもいるようで客の声が全く聞こえないとよく言われました
当時はメカから電子に移行の時期でIKT45型は45分類でしたが
半分メカで半分電子でした
私が退職する少し前に完全な電子レジスタ−が完成しました。





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